【武田冬門 プロフィール】
1960年
1月24日、東京は文京区にて生をうける。
1972年
日本進学教室(日進)では最底辺の成績ながら、奇跡的に慶應義塾中等部入学。
武田の知識は中学受験レベルで止まってしまう。
1983年
株式会社 集英社入社 月刊少年ジャンプ配属。
1992年
週刊少年ジャンプへ異動。いきなり、当時ダントツ人気No.1の「DRAGON BALL」を担当。
ちなみに「魔人ブウ」のモデルと言われるが真偽のほどは不明。
1999年
月刊少年ジャンプへ、副編集長として戻るが、7月の異動のため「恐怖の大王」と呼ばれる。今の人はノストラダムスを知らない。
2003年
月刊少年ジャンプ編集長に。
2007年
月刊少年ジャンプの休刊とともに、宣伝部に課長として異動。
2011年
「ONE PIECE2億冊突破記念」として、宣伝部の総力を挙げて、プロモーションに奔走。
集英社史上初、全雑誌の表紙に「ONE PIECE」を登場させる。
山手線1編成を「ONE PIECE列車」にしたり、登場キャラを使った集英社全雑誌の広告なども評判を呼ぶ。

2012年
宣伝部内でチームを組み、
六本木HILLS内、森アーツセンターギャラリーにて「ONE PIECE展」を開催。
当時の森アーツセンターギャラリーの入場者数を更新する。

2013年
ジャンプ・コミック出版編集部に異動。
ジャンプマンガの2次利用をする部署であることをいいことに、2次利用を拡大解釈。
VRなどの新メディアにのめりこむ。
2015年
年末のジャンプフェスタ2016にて、
VRと脱出ゲームを組み合わせた「VR脱出ゲームDEATH NOTE」を発表。

2016年
夏、東京都大阪で行われた「ジャンプビクトリーカーニバル」にて、
VR空間上で原画展を行う「ジャンプ美術館」(詳細はこちら)のプロトタイプを発表。
同年12月、史上初のVR専門雑誌「ジャンプVR」を発売。
その筋からは高く評価されたが、ちょっと早すぎた。まったく売れず。

さらに同月ジャンプフェスタ2017にて
「ジャンプ美術館」の発展版、「ジャンプCUBE」(詳細はこちら)を発表。
「ONE PIECE」「NARUTO-ナルト」「BLEACH」などの人気作品の原画とミニゲームを
Oculus、PSVRのデバイスを使って体験していただく。
2017年
5月、徳島マチアソビに出展。Oculus創始者のパルマー・ラッキーの知己を得る。

同年7月、L.A.のANIME EXPO(AX)に出展。
「日本キャラVR祭」と銘をうち、
日本のインディーズシーンの最先端で活躍する皆様をまとめて、VRの本場アメリカに殴り込みをかけた。

AXの興奮冷めやらぬうち、その足でL.A.からパリに飛び、「JAPAN EXPO」(詳細はこちら)に出展。
さらにさらに、そのままロンドンに飛んで、「Hyper JAPAN」(詳細はこちら)に出展。
約1か月かけてVRをめぐる世界一周の旅を敢行した。
同年12月、ジャンプフェスタ2018にて、
現在の仕事の基礎となる
「ONE PIECE×リアル脱出ゲーム Another Romance Dawn(A.R.D)」
を株式会社SCRAP様の協力のもと作成。(詳細はこちら)
VRが思ったほどのスピードで広がらないため、
AR技術を使った「商売できる」方向で考えた結果生まれた作品。
2018年
1月、インドのバンガロールで行われたゲームショーに出展。(詳細はこちら)
同年7月、前年に引き続きL.A.のAXに、
「ONE PIECE PUZZLE HUNT」と名称を変えたA.R.Dを英訳し出展。(詳細はこちら)
会場回遊策として、有料販売。初めて株式会社大日本印刷様とプロフィット・シェアをする。
同年12月、AXで展開したものを、シンガポール用にカスタマイズして、販売。
商売の方向性が少しずつ見えてくる。

2020年
株式会社大日本印刷様、株式会社ファンタジスタ様、株式会社ウェッジホールディングス様、
株式会社プラスタ様、株式会社オニギリ プラス様などとともに、
漫画+街歩きゲーム+MRゲームが融合した地域活性化の企画を立案。
LINEマンガにて、
「零の欠片―ゼロ フラグメント」連載のお手伝いを始め、現在に至る(2021年2月現在)


